主の手は短かろうか
2012年 07月 02日
イスラエルの民がタペラに来た時、彼らは〝災難にあっている人のように"
モーセに不平不満を言います。
〝災難にあっている人のように“ ですって。全く勝手よね。
モーセはこの民の様子を見て、絶望して主に訴えます。
「わたしひとりでは、このすべての民を負おうことが出来ません。
それはわたしには荷が重すぎます。・・・もういっそ殺してください。」
あの忍耐強いモーセがついに・・・かわいそう
でも、この章の榎本保郎牧師のメッセージはこうです。
「私たちは、ときどき、自分に課せられている問題が『わたしには重すぎる』
と思うことがある。・・・しかし、そんなとき、私たちの目に入っているのは、
ただ重荷だけであって、そこでくびきを共にしていてくださる主を見失っている
場合が多い。
失意の中にあるモーセに対して主は言われた。「主の手は短かろうか」と。
その民が六十万人いようが、百万人いようが、主はそれをつくられたのであり、
全人類を一人のごとくに養いたもうかたなのである。」
確かに、私たちが絶望している時の状態を考えてみると、
「こんな悪い事がある」「こんな大変なことになってる」と悪い状況ばかり並べ立てて、
「だからどうにもならない」と勝手に結論を出しちゃってる感じです。
神様に祈りながら、神様の力を忘れてます。
主の手は短かろうか
いんや、長いです。思い出そうよ、主の手は長いと。
悪い状況を、思いがけない方法で良い状況に変えてくださる力をお持ちの方だと。
主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画は
わたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、
平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、
希望を与えるものである。
(エレミヤ29:11)
自分の生涯の全貌は、自分では見渡せないのでわからないのですが、
重荷があって苦しい時ーーーそれは、人生のアップダウンの中の、たまたまダウンの時なの
かもしれません。
主が、平安と将来と希望を与えてくださるとおっしゃるのだから、
きっとそうなんです。
信じましょうね。
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モーセに不平不満を言います。
〝災難にあっている人のように“ ですって。全く勝手よね。
モーセはこの民の様子を見て、絶望して主に訴えます。
「わたしひとりでは、このすべての民を負おうことが出来ません。
それはわたしには荷が重すぎます。・・・もういっそ殺してください。」
あの忍耐強いモーセがついに・・・かわいそう
でも、この章の榎本保郎牧師のメッセージはこうです。
「私たちは、ときどき、自分に課せられている問題が『わたしには重すぎる』
と思うことがある。・・・しかし、そんなとき、私たちの目に入っているのは、
ただ重荷だけであって、そこでくびきを共にしていてくださる主を見失っている
場合が多い。
失意の中にあるモーセに対して主は言われた。「主の手は短かろうか」と。
その民が六十万人いようが、百万人いようが、主はそれをつくられたのであり、
全人類を一人のごとくに養いたもうかたなのである。」
確かに、私たちが絶望している時の状態を考えてみると、
「こんな悪い事がある」「こんな大変なことになってる」と悪い状況ばかり並べ立てて、
「だからどうにもならない」と勝手に結論を出しちゃってる感じです。
神様に祈りながら、神様の力を忘れてます。
主の手は短かろうか
いんや、長いです。思い出そうよ、主の手は長いと。
悪い状況を、思いがけない方法で良い状況に変えてくださる力をお持ちの方だと。
主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画は
わたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、
平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、
希望を与えるものである。
(エレミヤ29:11)
自分の生涯の全貌は、自分では見渡せないのでわからないのですが、
重荷があって苦しい時ーーーそれは、人生のアップダウンの中の、たまたまダウンの時なの
かもしれません。
主が、平安と将来と希望を与えてくださるとおっしゃるのだから、
きっとそうなんです。
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by nokonori
| 2012-07-02 01:29
| 聖書から